制献語録 No.2
011 武道家は死ぬことから逆算して今を生きろ。
生に執着するとうまく生きることは出来ない。死を意識してこそ良く生きる。死を宣告された者が残された時間を充実し満ち足りた気持ちで生きる。そんな例がたくさんある。死の恐怖から遠いところで自堕落な生き方をさらす人間が多い。人は平和の中で屍となり、戦いの中で命が吹き込まれるのだ。
012 愛情があれば民主主義でも社会主義でもいい。
人類最大の発明と言われる民主主義も多くの問題を含んでいる。前時代的とも言える社会(共産)主義はその国民の要求にまったく応えきれない。イデオロギーは所詮体制維持のための方便でしかない。
013 武道はいつも「命」について語っている。
単なる理論や理屈ではない。まして金銭や物質の問題でもない。我々がいつも問題にするのは人間の命のことだ。命とは人類共通の最重要課題だ。武道家は「命」という視点から理論を展開できなくてはならない。
014 間合い
「間合い」には空間的なものと時間的なもの、そして精神的なものがある。いずれも近すぎたり遠すぎたりすると人間関係が不安定になる。
015 あらゆる作業は信頼関係の上に成り立っている。
日本人に生まれて幸いだった思うことがある。この国では信頼という言葉を大事にする。自分が誠意を示せば、理解し応えてくれる人が必ずいる。
日本が世界的な高度な技術を開発できるのも、その根幹に人々の間に信頼関係があるからだ。信頼関係が作りにくい国や地域で物づくりは発展しない。また文化や伝統が末永く継承されることもない。信頼関係はその国の「民度」のバロメータと言える。
日本は元来資源の乏しい国。我々の最大の資源は人材であることを再確認し、武道家は信頼できる人材を育成するためにどう社会に貢献ができるのか考えなくてはならない。
子供にとって最初の信頼関係は母子間で生まれる。やはり母親の資質は子供の成長や国の発展に欠かせないものだ。
016 体を鍛えたら心を鍛えろ。精神は体と心の間にある。
精神は体と心をつなぐ媒体だ。いわゆる精神病とは体と心の相互作用バランスが崩れている病だ。武道を学ぶことの目的は身体と心を鍛えることにある。健全な人間とは、身体と心を制御統制できる強靭な精神力を備えている。

017 武士は自制心を担保に帯刀を許された。
武道を志す者はその肉体を鍛えることによって、普通の人以上の破壊力を身につけることになる。つまり状況によってはその身体が凶器になり得るのだ。従って武道修練者は一般人の何倍もの自制心が求められる。
武士は自制心を担保に帯刀を許された。自制心を失い刀を振り回すようなことがあれば切腹にも甘んじなくてはならなかった。
018 歴史観と人生観は思想上の背骨
現代日本人の最大の弱点は歴史を軽んじてきたことだ。仮に教育というシステムの中でそれが意図的に行われたのであれば、極めて重大な犯罪行為といえる。
この国の歴史を知らずして国の未来を語ることはできない。ビジョンの描けない国家は国民から活力を引き出すことができない。
019 良質な商品
ある商品がブランド化されるとその後の営業は非常に楽になる。ブランド化の背景には無数の知恵や工夫が凝集されており、細心の心配りがあり、さらに歴史や伝統といったもの含まれる。それらが微妙に絡み合い品格といったものがにじみ出てくるのだ。
020 モスクワの飛行場
ある時代、日本人の気持ちの中には共産主義や社会主義に対する淡い幻想や憧れがあったことは事実だ。いわゆる進歩的知識人といわれる人々が旧ソビエト連邦や中華人民共和国、北朝鮮、あるいは東欧共産諸国を極端に礼賛していた時期である。祝嶺もまたロシア文学やロシア民謡にあこがれ、さらに唯物史観といった思想が理想的な世界であり、世界の潮流と感じた青年期があった。
<長寿について>
沖縄の人々の長寿が世界的に有名になり、盛んにマスコミで取り上げられた時期がある。そのことについて祝嶺はいくつか語っている。
沖縄の恵まれた気候風土が植物の成長を促進する。この風土は植物のエネルギーに満ちていて、それが人間にも影響する。人間は同じ生活環境で収穫される食材を摂取することが理想的だ。沖縄には人々の生活の身近から収穫される物が豊富にある。ここでは人間もまた自然の一部として存在している。
人々は南国特有の楽観的な生き方をしていて、家族を中心とした共同体がお互いを支えあっている。そんな中で老人には老人の役割や位置が確保されている。神事はおもに老人達の仕事であり、そのことによって家族や子供達から尊敬されている。


